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夏の夕暮れ時、中央公園を散策しました。この場所の意味、歴史を肌に感じつつ歩いていると草や土の匂い、時折の涼しい風が何とも心地よいひとときでした。ゆっくり歩いているといつも急いでいて見逃してしまうものがよく見えます。
昭和6年、結核が死の病であった時代、無医村だった清瀬のこの地に東京府が結核療養所として「府立清瀬病院」を作り、それから国公私立15の療養所や研究所となりました。それが今の清瀬駅南口地域(松山、竹丘、梅園)病院街の起源です。
全国からの入院患者が5000人以上、まさに結核療養のメッカ、東洋一のサナトリウムをいわれた所以です。碑誌に歴史の出発地点と記されているように、今も世界で結核に苦しむ人々を救い続けている多くの医師たちが清瀬で結核医療について学び、そして活躍をしているわけです。
結核と清瀬の歴史について、今は亡き渋谷金太郎市長がよくお話していたことを思い出しました。次世代に受け継ぐべき大切な清瀬の歴史、不治の病である結核と闘った多くの患者、医師や看護師など医療従事者に想いを馳せつつ、今を生きる者として清瀬の明るい未来に向かって努力し続けたいです。
2024年9月
清瀬市議会議員 城野けんいち
清瀬けやきホールの3階にある清瀬市立元町こども図書館に行ってきました。どんな絵本や児童書があるのか、すべての本棚をじっくりと見て回りましたが、絵本や児童書が大変充実していて子どもの読書環境としても素晴らしいと思いました。私もかつて保育士をしていた経験から、これくらいの蔵書数があると子どもたちも大満足だろうと感じました。
もちろん、清瀬市在住の絵本作家の真島節子さんの絵本も揃っています。やさしくてあたたかな絵が素敵な絵本ばかりで癒されます。作品の多くはこぐま社や福音館書店で、絵本好きであれば誰でも知っている出版社ですね。ポプラ社の「学校の怪談」シリーズも健在で、今は「本の怪談」シリーズや「怪談収集家 山岸良介」シリーズが小学生に人気のようです。最近では金の星社から「学校の怪談 5分間の恐怖」というシリーズが出ているのですね。私が小学生の頃も「学校の怪談」がとても流行っていたことを昨日のように思い出します。
本棚で面出しになっていた絵本作家の田島征三さんの『とべバッタ』を久しぶりに読みましたが、力強くはばたくバッタに勇気をもらった気がします。大型絵本も迫力があって魅力的ですね。絵も内容も大人になってから見ると違った味わいがあります。同じく面出しになっていた『図書館に児童室ができた日 アン・キャロル・ムーアのものがたり』という絵本が目に留まり読みましたが、ひとりの女性の生涯、その努力を通じて、図書館児童サービスの歴史を知ることができる素敵な内容で、新しい発見となりました。
夏休みということもあり、小学生から中学生の子どもたちもたくさん来ていて、本を読んだり、何冊も借りたりしている姿を見ることができました。親子連れも何組も来ていました。小さな女の子を連れたお母さんとお話しましたが、いつも「つどいの広場」の帰りに寄るそうで、お子さんが自分で本を選んで借りて満面の笑みでお母さんと手をつなぎ帰る姿がとても印象的でした。あの親子は雨が降る前に無事に家に帰れただろうか。
乳幼児期の絵本の読み聞かせには、言語機能の発達や愛着形成、相互共感性に効果があることなど、いくつもの研究で明らかにされています。また子どもが本を読むことは学力向上のみならず、読書には論理的な思考を養うこと、豊かな感性や想像力を育むことにもつながります。特に絵本や児童書は手に取って絵を見たりしながら選ぶことが楽しみであり大事なことだと思います。市立図書館をはじめ、学校図書館が充実するように、これからも子どもたちの読書環境について、より良い方向と前向きな検討をするように働きかけていきます。
2024年7月
清瀬市議会議員 城野けんいち
皆さん、今年もよろしくお願いいたします。元日の能登半島地震、昨日の羽田空港での航空機事故、正直なところ新年を迎えて「おめでとう」と心から喜べる気分ではありません。悲しい気持ちです。
被災地の現状に思いを寄せると心が苦しくなり、どれだけ多くの人たちが悲しんでいるかと思うと何も手に着きません。しかし、今から13年前、2011年3月11日の東日本大震災を思い出すと、暗く沈み込んだ気持ちを乗り越えるべく立ち上がったことを思い出します。あの時に共感してくれた音楽仲間たちがいたから今の私があります。
何事も喪に服すように「自粛」するべきという雰囲気の中で「不謹慎」という言葉や「同調圧力」が異常なまでに蔓延していて、本当に困っている人たちや被災地のために自分にできることを自分なりにすることしかできないにも関わらず、行動することに対する批判を恐れること、経済活動や文化活動を含めて「自主規制」する状況を目の当たりにしてきました。
他者に共感すること、想いを共有することは大切ですが、現状において直接的被害を受けていない遠くの人たちが、悲しみのあまり立ち止まっていても何も始まりません。まずは現実に向き合い、実際に困って悲しんでいる人たちのために何ができるのか、それぞれが日常を取り戻せるように、一人ひとりが努力することが大切だと思っています。
私の大切な音楽仲間も被災していて、大変な思いをしています。自分にできる範囲で積極的に支援していきたいです。誰かが困っているときに支え合い助け合うこと、寄り添う気持ち、やさしさは、きっと国や地域を超えてつながると思っています。
2024年1月
清瀬市議会議員 城野けんいち
1945年8月6日、78年前。
私の祖父は広島に投下された原子爆弾によるキノコ雲を目撃しました。子どもの頃から当時の話を聞いてきましたが、戦争体験が風化しつつある今日、今を生きる私たちの責任は大きいと思います。
核兵器のない世界へ。
2023年8月
清瀬市議会議員 城野けんいち
清瀬市議会議員選挙、当選させていただきました。
応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
これからも変わらず、清瀬のために全力で市政に臨みます。
引き続き、よろしくお願いいたします。一生懸命頑張ります。
2023年4月
清瀬市議会議員 城野けんいち
新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
昨年は大変お世話になりました。
船を動かす水夫であるように。
これからも前向きに進んでいきたい。
清瀬の未来のために頑張ります。
心穏やかな年始を迎えられました。
今年も健やかな一年になりますように。
またお会いできること楽しみにしています。
2023年1月
清瀬市議会議員 城野けんいち
2022年12月29日。わたくし、本日で37歳になりました。
また新しい1年が今日から始まります。来年は私にとってひとつ節目を迎えます。再び市政に臨むべく敢然と立ち向かう決意。前を向いて一歩ずつ進んでいきたいです。気持ちを新たに挑戦していきます。
清瀬の未来のために自分にできることを。37歳も初心と感謝を大切にして頑張ります。関わってくださった皆さん、ありがとう。応援してくれている皆さん、ありがとうございます。
今年も大変お世話になりました。これからもよろしくお願いいたします。
2022年12月
清瀬市議会議員 城野けんいち
渋谷金太郎市長に、謹んで哀悼の意を表します。
渋谷市長は、亡国病と言われた結核のネガティブなイメージ、結核療養所、サナトリウムとしての清瀬を、歴史的な背景や経緯、結核医療の変遷を紐解く中で、恐るべき感染症との困難な闘いで、多くの患者を救ってきた医療のまち、結核に立ち向かった清瀬、そのイメージをポジティブなものに転換させてきました。
ご自身もピアノを弾かれ、よく歌われていました。私が最後にお会いしたのは令和3年第4回定例会の最終日。いつものように渋谷市長から「清瀬讃歌」を一緒に演奏しようなと元気にお声がけいただいたのが、私への最後の言葉であったと記憶しています。そして残念ながら一緒に演奏することは実現しませんでした。
市議会議員になって3年という短い時間でしたが、清瀬市のために一緒に仕事ができて光栄でありました。渋谷金太郎市長のご冥福を心よりお祈りいたします。
2022年2月
清瀬市議会議員 城野けんいち
今夏開催された東京オリンピックには、カヌー・スプリントの久保田愛夏さん、パラリンピックには、トライアスロンで土田和歌子さん、清瀬市にゆかりのある選手たちが出場されました。大変お疲れさまでした。
また昨年2月に清瀬市下宿体育館に公開練習で来てくれた新体操日本代表、フェアリージャパンの皆さんも、最後まであきらめない演技で輝いていました。
選手たちの直向きに取り組む姿、その頑張りに多くの感動をもらいました。清瀬市におかれましては、是非とも引き続き、トップアスリートの皆さんとのご縁を大切にしていただきたいと思います。
私も引き続き、市議会から清瀬市のスポーツ振興に取り組んでいきます。
2021年9月
清瀬市議会議員 城野けんいち
中澤弘行副市長に謹んで哀悼の意を表します。
中澤副市長は、昭和51年に清瀬市職員となって以来、45年にわたり清瀬市の発展のために尽くされました。清瀬市が抱える数多くの課題、厳しい社会情勢、財政状況の中にあっても正面から立ち向かい行財政改革を進めるなど、将来を見据えたまちづくりを進めてきました。
また、音楽による地域活性化や文化のまちづくりについても、多大なるご理解をしてくださいました。
かつて清瀬市の主催で、フォークソングのコンサートが清瀬けやきホールで開催されました。音楽活動をする清瀬の若者に声をかけ、寄り添い、多くの市民の皆さんに、音楽に親しむこと、ギターの音色や響き、一緒に歌うことの楽しさや喜び、文化のすばらしさを伝える機会をつくり出すことにも取り組まれました。
突然のお別れで驚きましたし、寂しく、とても悲しいですが、遺志を継ぎ、前を向いて、持続可能なまちづくりを進めること、次の時代の未来を生きる子どもたちのために、清瀬の豊かな水や緑、自然環境を残していくこと、そして明日のよりよい清瀬のために一生懸命に頑張りたいと思います。
私が市議会議員になってちょうど2年、短い時間でしたが、行政と議会で、立場こそ違いましたが、清瀬のために一緒に仕事ができたこと、うれしかったです。中澤副市長、ありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
2021年3月
清瀬市議会議員 城野けんいち
新年あけましておめでとうございます。昨年も大変お世話になりました。早いもので市議会議員に初当選してから2年が経とうとしています。任期の折り返しになります本年も、感謝と初心を大切にしながら駆け抜けていきたいと思います。
全世界に広がる新型コロナウイルス感染症は未だ収束せず、我が国においても医療体制が逼迫し、危機的な状況に陥りつつあります。今後、政府から緊急事態宣言が発出される可能性もありますが、私たちは市民生活を守らなければなりません。清瀬市でも昨年以来、幅広い支援施策を展開してきましたが、必要なところに支援が行き届くよう、私も一議員として、自分にできることを全力で取り組んでいきたいと思います。まずは一人ひとりの感染予防対策が必要不可欠でありますので、マスク着用や手洗いなど、引き続き市民の皆さんのご理解とご協力をお願いいたします。
本年は清瀬市も新庁舎に移転し、新たなスタートを迎える年になります。未来につながる持続可能なまちづくり、人口減少時代を見据えた行財政改革、行政サービスの向上は勿論のこと、市議会においても、より積極的な情報の発信に努めなければなりません。私も一人でも多くの市民の皆さんに、市政を身近に感じてもらい、関心を持っていただけるよう様々な形で発信していきます。
そして何より、2021年が良い年になるよう、私も日々新鮮な気持ちで市政に臨む所存であります。本年も変わらぬご支援とご協力を賜りますよう、何卒よろしくお願いいたします。
2021年1月
清瀬市議会議員 城野けんいち
新型コロナウイルス感染拡大による危機に際して、私たちの命を守ってくださり、最前線で闘っている医療従事者の皆さん、感染を防ぎながら入所者の生活を支え、懸命に業務に当たられている介護従事者の皆さん、感染拡大を受けた市民生活の様々な課題、特別定額給付金などの支援施策に全力で対応してくださっている市職員の皆さん、感染拡大の防止にご理解とご協力をしてくださっている市内各種事業者の皆さん、関係機関の皆さん、そして市民の皆さんに心より感謝を申し上げます。
2020年は、ひとつの時代の転換期であると思っています。ポストコロナの時代は、これまで以上に、変わるものと変わらないもの、変えなければならないものと変えてはならないもの、こうしたことを見極めて、判断をしていくことがより重要となります。清瀬市においても、将来を見据え様々な形で持続可能なまちづくり、地域の活性化を図っていきます。そして行政需要が多様化する中、私も一議員として、しっかりと市政に臨んでいく決意を胸に、皆さんと共に、この危機を乗り越えていきたいと思っています。
2020年6月
清瀬市議会議員 城野けんいち
平成も終わり、令和となりました。ひとつの節目であり、新しい時代の幕開けです。清瀬は来年、市制施行50周年を迎えます。今年はこれから先の50年、100年を見据えた清瀬のまちづくりを始める、その元年となる年です。
時代の変化や社会情勢に応じたまちづくりが必要でありますが、そのためには若い世代も動いていかなければなりません。まさに清瀬の活性化には前例踏襲や固定観念に捉われることなく、臨機応変に判断する柔軟性と行動力が必要不可欠です。
緑が豊かで住みよい清瀬をより良くするために、子どもたちから若者、高齢者まで世代を超えてつながり、誰もが自分らしく安心して暮らすことができる、そんなまちづくりを提案し、そして実行していきます。
2019年5月
清瀬市議会議員 城野けんいち